だれもがずっと安全に暮らせて、災害にも強いまちをつくろう

  都会を襲った大災害を機に地方に移住を決めた。都会にいたころはいろいろまぶしかった。朝適当に喫茶店でコーヒーをすすりながらテレワークをしたり、気まぐれで出社して通勤ラッシュにもまれてみたり、飲んだ後のテンションで家電量販店で必要のない家電を買ったり。朗読会をしたり、講演会に出たり、酔っ払いが地べたに吐くのを見たり。ただもういいかな、と思った。虚無感という言葉は使いたくなかったので、心の病だろうと思って病院に行くと、昨日は全く人が並んでなかったのにひどい行列があった。休みを取っていたのでその列に並んで、二時間はそこでじっとしていたが、全く気にならなかった。精神科で問診票を書くときに今日が何月何日かを調べるために携帯を出して、そこで初めて朝から全く携帯電話を触っていなかったことに気付いた。そしてもう今は午前十一時なのに、全く誰からも連絡が来ていないことに驚いた。驚いた私は反射的に携帯の電源を切った。同時に看護師に名前を呼ばれた。

「罹災証明を出します」

 と医者は言った。

「なんの災害でしょう」

「情報が氾濫しました。昨日ですね、降り続けた情報がついに川の決壊を引き起こしました。ここは激甚災害地域に指定されています」

「でも私、特になんともないです」

「それはあなたがうまく高台に避難できたからです。運がよかった」

 そういうと医者はカーテンを開けて診察ベッドを見せる。そこには携帯を二台凝視しながら、ゴーグルとヘッドフォンを付けて拘束されている男性がいた。ゴーグル越しに目は見えないが、顔の筋肉から目が高速で移動しているのがわかる。時折痙攣する。

「各報道機関に情報のシャットダウンが政府から通達されています」

 そういうと医者はテレビをつける。ニュースキャスターがこちらを見ていて、しかし何も発言しない。表情は真面目で、報道者としての使命にあふれているがそれを伝えるすべを知らない、そういったような表情がずっと写っていた。私は緊急地震速報のようなシリアスさを想像していたので少し笑ってしまったが、キャスターの真剣なまなざしが、研ぎ澄まされた一つの情報を、つまり「きけん にげて」ということを語っていることをくみ取って震えた。

「さあ、こちらが罹災証明です。電車で今日中に避難ください」

 そうして電車を乗り継ぎ、この地方にやってきた。みんなとてもいいひとで、私は何もかも忘れて村の仕事に打ち込んだ。そのうちに人口が増え、子供が増え、共有すべき出来事も増え、遠くに住む人も増え、コミュニケーションが増えた。たまに都会のことを思い出すこともあった。村の掲示板には簡潔に都会の様子が掲示されることがあった。都会では復旧作業がまだ行われていた。情報インフラは壊滅していた。私の住んでいた地域は完全に情報に水没しており、おはよう、こんにちは以外の言葉を発しても意味が通じないような状況になっていた。ただ、だからこそそこにまだ住む人々はおはよう、こんにちはを力強く発し続ける、というようなことも書いてあった。


 村では暮らすうえで共有しなければならない情報がだんだん増えていった。そこで村のSNSを作ろうかという話になった。私は都会でIT系の仕事をしていたので、その制作に携わることとなった。SNSには記事に「いいね」を付けられるようになっていた。古いSNSのフォーマットをそのまま下敷きにしていた。私はヤギの赤ちゃんが無事に生まれた記事に「いいね」ボタンを押した。その時、背筋に一滴の雨粒が落ちたような寒気を覚えた。ポタン。ポタン、ポタン。ほかの記事を見ると「いいね」カウントが回転するのが見えた。ポタン、ポタン。私の呼吸は浅く早くなった。とっさに私は「いいね」アイコンを「そうだね」アイコンに作り替えた。これでしばらく何とかなるはずだ。そうだね。そうだね。


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