買う神は買う

 買う神は買う。すべてを買う。人の手によって作られたすべてを買う。創る神でも壊す神でもない買う神は買う。それ自身価値であることをやめた神は、人々の作り出すどんなものにでも価値を見出し、それに対価を払う。金という供物を人間に捧げる。買う神は現れる。例えばこんな会話が繰り広げられる工場に現れる。


「工場長。もう作るものがありません。客先からの受注が予測より大きく下回っています」

「営業はなんて」

「世界的に景気が減速していて客先からの受注が伸び悩んでいると」

「このままの稼働を続けるとどうなる」

「受注した通りの台数しか作らないとすると、全く工場が回りません。従業員を解雇する必要がありますし、部材の手配はすでに終えているのでその支払いが滞ります」

「心配するな。工場の稼働は止めるな。作れるだけ作れ。作りたいだけ作れ。営業にも特に何も言うな」

「しかしそれでは大量の製品在庫が」

「買う神は買う」

「え?」

「買う神が買う」


 買う神は買う。人々が必要だと思って、必要な数だと思って作ったものを残らず買う。買った後のものはそのまま置いて去る。価値があるものを価値があると見出した後に購入し、容赦なく放置して次の購買に向かう。人々が作り上げた付加価値や意味をすべて尊重し、それに対価を払い、そして捨て去る。神の膨大な所有物を、こっそりと人々は捨てていく。椅子、論文、判子、ニッキ飴、保護シート、ヘリコプター、投資商品……人々は心血注いで作ったものを買う神に買ってもらう。何も使われることはない。買う神に買ってもらえればそれで満足だった。買う神は買う。どんなものでもいくらでも買う。人々は次第に買う神に対して嘘をつくようになる。すなわち、本当はそれほど価値のないものをたいそう価値のあるものとして買ってもらうことを始める。それでも買う神は買う。人々の値付けにまで創造性を見出し、人々の言い値で買う。人々は得たお金で買う神の真似事をしようと購買を行うが、金と、何よりその精神がついていかず気が付けば作る側に戻ってしまう。

 買う神は買う。人々は作る。ただ祈りだけが消費される。しかし祈りは尽きることはない。


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