特オチ

 最初に異変に気付いたのは有名週刊誌の記者だった。その週刊誌は毎週大衆の興味をあぶりだし、地道な取材作業や、逆張り的な発想に基づくスクープを飛ばし、この出版不況の中でも読者の、大衆の支持を一定集めていた。人間臭さを誰よりも愛し、それによって飯を食う、彼の編集部もまた人間臭い組織だった。一方的な断定や取材不足による憶測を何よりも忌避し、取材の中でも人間味を発揮し、人柄を信頼してもらうことで情報を、仕事をもらっていた。まさに人間らしい仕事だ、と彼の同僚の誰もが自らの仕事に誇りを持っていた。

 その異変はある大型新人アイドルの喫煙・パパ活を突き止めたときに訪れた。清楚系で売り出していたその新人アイドルは記者の突撃を受けると、そうです、とすべてを認めた。彼女くらいの年のアイドルだと、突然のことで我を失って自棄気味に自らを暴露する子もいるし、その場合はまだこの子も将来があるのだしと、見逃すこともあったが、このアイドルはそんな感じもしなかった。

「喫煙してましたよね」

「はい、すみません」

「さっきホテルから一緒に出てきた人は」

「パトロンです」

「お金は」

「もらっています」

「清楚系で売り出しているのに、こんなことをして許されると思っていますか」

「許すか許さないかは私にはわかりません」

 そういうと彼女は記者の目をまっすぐに見つめた。こちらは彼女の弱みを握っているはずなのに、彼女の目は怒りもなく、軽蔑もなかった。ひょっとして、とも思ったが、誘うような色気すらも感じられず、薄化粧の彼女は口を開く。

「どのような形で何を書いていただいてもかまいません。嘘が混ざっていても気にしません。ただ、一つだけ条件があります」

 

「こりゃすごいスクープじゃないか。右トップ確定だな」

 編集会議で編集長が叫ぶ。記者は喜びながらも、

「しかし編集長、彼女変なことを言うんです。記事にするのは全く構わないが、自分の顔を必ず載せてほしいと」

「いい根性じゃねえか。いいだろう、なんだ、それが写真か?」

 

 彼女は写真を撮られるときに少し前髪を整えると、満面の笑みでカメラに向かってポーズを決めた。記者はあいにくスマホしかもっていなかったが、それでも十分美しい姿だった。街灯に光る黒い髪は彼女の清楚さを連想させたが、清楚という言葉では何か足りなかった。彼と、彼の属する組織お得意の人間臭さで記事をまとめようと彼は記事を頭の中で組み立て始めるが、彼女の写真を見ると言葉がガラガラと崩れるのだった。

 

「道玄坂12h 7,200」清楚系アイドルのいけない課外授業

「週二箱です」“国民的美少女”住原佳花の喫煙現場

 

 何を書いても彼女の笑顔の前には意味がなくなってくるので、途中から彼女の写真は見ずに何とか記事を書き上げた。

 

 発売された週刊誌はバカのように売れたが、彼女の喫煙やパパ活の是非についてはリアルでもネットでも全く問われなかった。センセーショナルな記事の横に写る満面の笑みの彼女の前では、彼女がやるのならそのどちらもまあいいことではないのか、という世論が形成されつつあった。週刊誌の記事をボードに並べて識者たちはワイドショーで意見を言うが、どれもこれもあまりぱっとしなかった。

 

「それにしても堂々としていますねえ……え、これ事務所から借りてきた写真じゃなくて、突撃した時の写真ですか」

「吹っ切れているというのかな」

「とは言ってもやはり未成年、特に彼女のように若年層のカリスマのような存在がこのように喫煙をするということはやはり許されるべきではありません……多分住原さんも何かしらの理由があったのだと思いますが、なぜこんなことをしたのか、原因究明が待たれますね」

 

 パネルを見ながら喫煙やパパ活について意見を述べるママタレは、「待たれますね」と言いながら私はそんなことを果たして待っているのだろうかと思った。

 

「それにしても、きれいな笑顔ですね……」

 

 と、だいたいのコメンテーターはふわっとした賛辞でコメントを締めるのだった。

 

その間にも週刊誌はタレントの不倫や政治家の献金など、人間臭さを搾り取るように記事を量産していったが、住原だけでなく、どのタレントも政治家も、堂々とカメラの前でポーズを取るようになった。もちろん犯罪者は刑務所に収監されるのだが、なんとなくみんな、そう気にする必要はないのではということに気付き始めていた。週刊誌は迷走し始めた。国民の考えることが分からなくなってきていた。「こんなことが果たして許させるのだろうか」と書きながら、なんで許されないのだろうとか、そんな自問自答を繰り返すようになった。そのうち、タレントや政治家たちは、わざと週刊誌の記者を追いかけ、目の前で見せつけるようにスクープを垂れ流すようになった。読者であるところの大衆たちは、そうだよなあ、そういうこともあるよなあと、どんな記事にも驚かなくなっていった。大衆の理解度は今や度し難いまでに発達していて、どんな突飛な記事も喜んで吸収された。紳士な大衆はしかし、情報に対する対価はちゃんと払ったので、週刊誌が廃刊することはなかった。

気付けばお互いがお互いをむさぼるように理解しあう時代が来ていた。そんなある日編集者は嘘の記事を書いた。こんなことになってしまったきっかけ、すなわち住原佳花についての記事を書いた。住原佳花は実は人ならぬ存在であり、唯一神であると。荒唐無稽なことだが、荒唐無稽でならねばならないと思った。今の理解ある大衆でも、さすがにこんなことは信じないだろうと思って書いた。スマートフォンに収まる住原の、理解と慈愛の笑顔を見ながら書いた。完成した記事は、到底事実を伝える記事の体をなしていないものだった。単なる狂信的なファンの思いを述べた代物であり、三流雑誌の投書欄を埋めるような代物だった。見方を変えれば、一途なラブレターにも読めなくはなかった。中学生男子が眠れない夜に赤い油性ペンでノートに好きな女の子の名前だけを書き連ねるような、そんな熱量もあった。今や社内でも誰も記事をまともにチェックする人もおらず、彼の書いた原稿はそのまま校了され、出版された。

果たして住原佳花は唯一神だった。記者としてあるまじきことだが、どうも彼だけが住原が唯一神であることを知らないでいるようだった。彼の書いた記事は驚くほどの新鮮さを持って大衆へ迎え入れられた。今や記者を除いてすべての人が住原を唯一神と仰ぐ時代で、ここまで赤裸々に彼女への思いを文章に残すことは非常に難しいことだったのだ。例えばそれは私たちが日々呼吸する空気に熱い思いを打ち明けるようなもの、いや、我々がこうして生きていることへの感謝の気持ちをささげるようなものだった。彼の記事は全世界の人の目に触れることとなり、人々は住原への感謝の気持ちを改めてかみしめることとなった。

 

「ありがとう」

 

記者がスマートフォンで彼女の写真を見ていると、彼女の声が確かに聞こえた

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