すべての人々の、安価かつ信頼できる持続可能な近代的エネルギーへのアクセスを確保する

  FacebookのいいねボタンやヤフコメのGoodボタンなど、人の好みはここ数年で収斂してきた。AIが人間から知的労働を奪い始めた頃から、人間には何ができるだろうとその模索は始まったわけだ。限られたパターンの脳細胞の組みあわせから人の好悪を類推するなどはそれはそれは簡単なことで、人間の嗜好はどんどん言葉とともに単一化されていった。今まで名付けられなかった感情などもインターネットで膨大な言葉と写真と動画と、その後には拡張現実で触覚や嗅覚や味覚などもすべて共有できるようになり、良いのか悪いのかボタンひとつで人間はそれらを選んでいった。

 そのうち、どの次元で解釈しても、つまり感情で捉えても理性で捉えても単なるあまのじゃくで捉えてもいいとしか言えないものが人間の目の前に現れて、人間の目の前には大きないいねボタンがおかれていた。全人類が全身を人差し指にしてそのいいねボタンを押したわけだ。全人類側でも、自分たちがこのボタンを、全人類が押すことによって何か世界に決定的な変化を起こすであろうことはうすうす感づいていた。それはボタンというものが連想させるような、今ある日常を不可逆的に壊滅させる何かかも知れないし、自分達を次の、神なるものへの存在へ導くためのボタンなのかも知れないと想像していた。

 ボタンを押下した快感が消えてしばらくしても、しかし何も起こらなかった。一瞬身構えた全人類は、しかしはてと立ち止まって自分が押したものをじっくり見つめた。それはいいねボタンだった。何にいいねだったのかは誰も覚えていなかった。しかし自分たちはいいね、と思ったのだった。自分達に対してYesを、肯定を与えたのだった。さっきより少しだけ気分が良くなっていた。そうするとすぐに目の前にまたいいねボタンが現れて、人類はためらうことなくそれを押した。いいね!

 これが昔の人が愛と呼んでいたものの正体だった。人類はただ愛するだけのエネルギー体になり、それ以外の生産活動は何も行わなくなった。いや、愛という言葉はやはり何かちょっと、違う気がするので、やはりそれはいいねとしか呼べないものだった。目の前に現れるいいねボタンを押すだけの簡単なお仕事をして、自己を肯定し続け、いつまでも、いつまでも、幸せに暮らしました。


0 件のコメント:

コメントを投稿