すべての人々の水と衛生の利用可能性と持続可能な管理を確保する

 雨は、唐突に終わりを告げた。水があれば海があればそこから蒸発した水蒸気が雲を作り雨を降らし雪を降らす。そんな当たり前の循環が終わりを告げたのは、神のこんな疑問がきっかけだった。「酸素は地球上にあまねく均等に行き渡るのに、なぜ水はそうでないのか」人間は神の意志を汲み、人工的に降雨をコントロールしたり、温暖化を促進して降雨の回転数を上げたりしたが、それでも水が地球上に行き渡ることは無かった。雨の側は雨の側で、何度も何度も気化し、凝縮し、降るというのにいい加減疲れていた。神に叱責され、人にコントロールされ、どうしようもないくらい気分が落ち込み、もう気化するほどハイな気持ちになることもなかった。そうして雨が降らなくなった。

 雨が降らなくなって、雲もなくなって、日光がダイレクトに地表に届くようになり、それで人間や動植物が渇したかというと、そうはならなかった。もう乾ききって耐えられないと人々が思う前に、地表から水が滲み出るのだった。昨日までは何もなかった空き地に水場が急にできる。それはまさにオアシスであったが、地下を通り少しミネラルを含んだ水はほんの少し塩っぱく、さらにその水場が数え切れないくらいそこここに点在するものだから、水場は地球の「汗」と呼ばれるようになった。「汗」は場所を選ばず出現した。道路や、既存の施設などの中でも、気付けば「汗」が出現した。そのたびに道路は迂回したり、施設が使えなくなったりするのだが、そこに誰かが水を欲している以上、文句を言う人はいなかった。 結果的に水の問題は解決されたのだが、直射日光だけはどうしようもなかった。なんとかなるでしょ、とある人が風船を膨らませて放つとそれは空にとどまった。どうやったのかと聞くと、明るい気持ちを吹き込んで飛ばすのだとその人は言った。


「今日一日あんまりよくなかったけど、昼ご飯だけはおいしかった」

「たのしい」

「明日も一日がんばろう」


 内容は何でもよかった。なんとなく明るい気持ちを吹き込めば、風船は空に浮かび、雲の役割を果たすのだった。雲の代わりに色とりどりの風船が空を覆うようになった。

 人々が明るく風船を飛ばしまくる横で、それになじめない人間は一定数いた。彼らは水場に溜まり、コップで「汗」を飲み、「汗」にわずかに残るそれが雨だった頃の記憶、苦みを味わおうとする。戯れに風船に息を吹き込むと、それは寄り添うようにふわふわとその場に浮かぶ。それはまるで人魂だった。


0 件のコメント:

コメントを投稿