包括的かつ持続可能な経済成長及びすべての人々の完全かつ生産的な雇用と働きがいのある人間らしい雇用を促進する

<改題:川向の牛丼や>

  すべての労働は人の期待を裏切ることで成り立っている。どこまで周到に立てた計画も、やはりどこかに瑕疵があり、結果に対し大きなもしくは小さな影響を及ぼす。瑕疵はもれなくPDCAサイクルに回収され、二度と日の目を見ることがない。川を隔てて高くそびえる高層ビル群では、今日もPDCAが高速回転している。行き着いた効率性はもはや人に間違えを犯すことすら許さなくなってしまった。それは間違えを犯したものを排除するということではない。間違えたと思った瞬間、正解の方から人間に近づいてくるようになったのだ。そうやってAIは働きがいという栄養素をたっぷり含んだ労働を、朝から晩まで労働者に提供し続ける。労働という単語は、一昔前の授乳という単語で捉えればそう遠くない。

 あなたは午後一時半時、食べそびれた昼食を摂ろうと川向にあるチェーン店の牛丼やに入り、券売機で食券を手にすると店員に渡し、すでに三十分が経とうとしている。しかしあなたはイライラはしない。腹が減るという生理的現象に対しイライラよりもわくわくが勝っている。今ではもうそこまで感じなくなった、怒りという感情をこの店は、意識的に提供しているのだろうな、とあなたは目をつぶって待ち続ける。

 しかしまあ、こんなことはこの川向では当たり前のことで、実はそれ自体も陳腐化している。洗練された泥臭さを持つ高層ビル群での労働に着いていけなくなりはみ出し、寄り集まった川向の労働者たちは、昔昔はあったとされる働きがいというものを追体験しようと、手探りで労働を続けていたが、そのうちに人間らしさの限界にも突き当たるようになってきた。間違いばかりではやはり生きていくことはできないのだ。自分たちがすでに十分に間違えることすらできないことに気付いた川向の住人たちは、絶望したあと、ほそぼそと小さな間違いを繰り返しながら暮らしている。

 店員がトレイに丼を載せてカツ丼を持ってくる。パン粉がなかったので食パンを粉々にしているのに時間がかかったのだという。


「なぜカツ丼なんだい」

「おいしいと思って」

 カツは揚げすぎで少し黒くなっていた。あなたは一口食べて

「ありがとう、とてもおいしい」


 あなたは心の底からそのカツ丼を味わう。店員は笑って食券を大切そうにポケットに仕舞う。もちろん食券には何も書かれていないし、そもそもあなたは券売機に何も投入してはいない。


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