アウトロー

 ある会社でのことだ。男性社員が急に立ち上がり隣席の女性社員を平手で張り倒した。男性はすぐに周りに取り押さえられ、警察に突き出され、懲戒解雇となり、女性社員には適切な心のケアが施された。激務で疲れていていらいらしていたと彼は警察の取り調べに応え、メディアは会社のブラックな側面を誇張して報道し、一方でその会社の給茶室では被害者の女性社員が日頃から加害者の同性愛指向をからかう言動を、面と向かってではないが折に触れ漏らしていたことを話し合い、自分たちの過去の発言を振り返って少し恐くなった。加害者の業務上のパートナーだった男は、彼の逮捕の報を受けてかつて忘年会で彼にゲイであることを伝えられ、さらに思いを告白されのみならずトイレの個室に連れ込まれそうになったときのことを思い出して、しばらく会社を休んだ。被害者の女性社員は心のケアにあたっていた人事部の担当課長と懇ろになり、日曜日にわざわざお互いスーツ姿で出社してまぐわった。「ぱぱおしごとがんばってね」と言う娘の声を思い出しながら午前の陽光眩しいビルの上層階で腰を振っていた。

 それらは非常にありふれたことだった。無機的な彼らは会社と、社員達と有機的につながり、会社に人間味を差し出して組織を形作っていた。一連の出来事はすべて会社と個人間を深く結びつけ、その年会社は過去最高収益をたたき出した。みんな嬉しかった。会社を去ったゲイの男も最高益のニュースを見て顔をほころばせた。

 しかしそれらはすべて昔の話だ。差し出された人間味は次第に摩耗し、同僚を殴っても、給茶室で悪口を言っても、後輩に性を押しつけても、社内不倫をしてもそれは満たされることは無かった。やがて推進力は落ち、業績は悪化し、従業員は離れていった。役員は残された権益を取り合い、会社は事業規模を大幅に縮小した。再起を図る社長は魂を抜かれ老いさらばえた一握りの従業員を眺め回し、ひとりの男を見つけた。

 彼はその勤務態度から、そのまま真面目君と呼ばれていた。真面目君は激動の中でも、何一つ勤務態度を改めず忠実に業務をこなしていた。社長は彼の肩に手を当て、「結局君のような社員だけが頼りだ。君の愛社精神を、今こそ発揮してくれ」と激励した。真面目君は感に堪えないといった様子で目を潤ませ、声を震わせこう言った。

「もうすぐです。早く会社がくたばるところが見たいです」

 会社は死んだ。享年75歳だった。


0 件のコメント:

コメントを投稿