生産者も消費者も、地球の環境と人々の健康を守れるよう、責任ある行動をとろう

 夕方四時にチャイムが鳴る。浅い眠りから起きてそのまま玄関に向かい、ドアスコープを覗くと女性のおでこが見える。目はうつむいている。肩は高く立っているがそれは怒っているからではなく肩から下に伸びる細い両腕を支えるためだった。ぴんと張った両腕の先は見えないが何か相当重いものを持っているようだ。伏せった彼女の目の下にある口は少しほころんでおり、見ようによっては妊婦がお腹の中の我が子を慈しむ表情にも見えなくもない。

 ドアを開けると「作りすぎちゃって」とお隣さんはまず手に持つ大きな寸胴鍋をぐいと押し込み、しゅるりと自らもドアの隙間から入り込む。玄関に寸胴鍋を置き一息つくと、そのままの流れで俺の脱ぎ散らかした靴の間にしゅららとしゃがみ膝をつく。クレープ生地のようなスカートからのぞく白い脚を鈍く反射する寸胴鍋のふたをお隣さんが開けるとぼわんと湯気が立ち少し遅れて強烈な獣の匂いがした。

「豚骨スープですの。作りすぎちゃって。良かったらお裾分けをと思いまして」

「良かったら」の声は細く小さいが、それに見合わぬ、有無を言わさぬ落ち着きで大きなお玉で寸胴鍋をかき混ぜながら、もう片方の手を俺の部屋の奥に伸ばし促す。くとん、ことんと寸胴鍋とお玉がスープの中でぶつかる音を背に俺はキッチンに入り鍋を手に戻る。お隣さんはスープを注ぎ込む。もう入らないところで礼を言おうとすると

「まだありますので」と俺の後ろを指す。いわれるまま俺は先ほどより少し小さな鍋を手に戻る。お隣さんはかとん、たたんと寸胴鍋をかき混ぜてスープを鍋に注ぎ込む。

「まだ」「もっと」「もっと」

 何往復したのか分からないが、最後に持ってきた醤油皿にお隣さんはスープを注ぐと、「少しいいですか」とそれを俺の手から皿を受け取りこくっと一口飲み「あなたも」と飲みさしのスープを俺によこす。口に含むと獣の匂いの遠くに乳白色の甘みが口いっぱいに広がり、俺は口の中を唾液だらけにしてごく、とそれを飲み込んだ。こんな豚骨スープは飲んだことがないと寸胴鍋を覗こうとすると一瞬早くお隣さんはばしゃんとふたをして

「ありがとうございました」とするりと立ち上がり、一礼すると去って行った。

 部屋に戻ると鍋にカレー皿に丼にタンブラーに注がれた豚骨スープが西日に照らされ光っていた。俺はそういえば彼女はどうやってチャイムを押したのだろうなどと考えその直後途方もない空腹感に襲われた。


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